「足見(葺見)見どころ」の紹介
橋本城址 〜 足見深谷観音洞(堂)養命寺奥の院
新見市内に47の城址があり、その1つ、足見東組久保井に橋本城址がある。住民、これを山城と云う。
天正4年(1576)唐松甲籠城(城主・伊達四郎兵衛重與)の家老職・橋本賀茂丞正秀が、足見(葺見)久保井(標高470、比高70)に建立。戦国争乱の終結と共に廃城となる。
その後、慶長17(1612)大阪夏の陣の3年前、戦国時代終末の余韻の中、上房郡中井定光寺第八世雪山和尚が、草間・足見・唐松を巡錫。橋本城主・賀茂丞正秀の長子、孫右衛門正光が薬師を篤く信仰していた関係から、雪山長梅大和尚に帰依し、寺1宇を開基し菩薩寺として山号を孫右衛門正光の名を用い、足見高平山の山腹に正光山(後に照光山)養命寺を創建した。
いずこの寺院も仏教の教えに従って、鎮守の神(鎮守さん)を本堂の裏山に勧請したり、奥の院を設けたりして永遠に守護され繁栄されてきた。
足見東組に、照光山養命寺奥の院である深谷観音洞(堂)がある。足見東組の東端に石灰岩の洞窟があり、間口は20m、奥行5m、高さ2mの洞内中央に2基の洞宇があり、昭和54年冬12月に新築され、向かって右側の洞宇には木造観音像3体を祀り、左側の堂には石造大師像を祀る。
石造大師像は、安山岩製で台座に天明3年(1783)10月と紀年鑑が刻まれ、木造観音像は文化7年作(1810)と記されている。
洞内には船型光背浮彫り地蔵35体が安置され、内立像22体、坐像13体,如意輪観音3体、馬頭観音2体、別に高さ35p、横30cmの糖晶石灰岩の道祖神1体がある。別に岩盤を掘って祀ってある石仏1−2基もある。
戦前まで養命寺住職は、毎年春秋の2回お参りをしていた。一般人も2−3日かけて、春秋に「お大師参り」を行い、大変賑わっていた。
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